最近時間が無い。

時間が無い、という言葉は言い訳に使われることが多いが、本当に時間が無い。
どれほど時間が無いのかというと、散髪屋に行く時間が無くて自分で髪を切るほどだ。

髪を切っていて思ったのは、どこでやめるべきか分からないということと、正解が無いということだ。
丸坊主の人は、ただ丸刈りにしてしまえば良い訳だから、到達点とゴールが有る。
しかし、多くの人のように、髪を良い感じに残すためには、到達点とゴールを見極めなければならない。
中国の古い話に、龍の彫刻を整えるためにどんどん削ってしまい、最終的には貧相な小さな龍が完成してしまうという話が有ったが、髪を切るのも似たようなものだ。

どこまで切れば良いのか。
完成形はどんな感じか。

それを見つけ出すには、妥協点が要る。
妥協せずに、髪型をもっと良くしよう、もっと良くしようと思ううちに、信じられないような短さになってしまうのだ。
つまり、大きなことを成すための妥協点を見誤らないようにしなければならないということだ。
努力を足し算していけば良いものが生まれるのでは無く、大局的な眼差しが必要なのだ。


努力という行為には、どこか埋没性が含まれているように思う(埋没性を備えた人間に努力家が多いのかもしれないが)。
何かに向かってひたむきに努力することは、世の中を平均的に見ると、突出した行為になる。
努力という行為は人間的でも無いし普遍的でも無い、特異かつ個人における戦いに当たる。
そして、その特異性を意識・認識し始めると努力をしたく無くなるのだ。
そういう意味では、努力の埋没性、特異性、異常性に気付いた人は大損をしてしまっているといえるだろう。
しかし同時に、そういう人は努力の負の側面に気付いているからこそ、埋没しない努力、妥協点を把握した努力が出来る可能性を間違いなく秘めている。
努力という個人における戦いを他人にどう見せていけば良いのかを検討するチャンスがある。
才能が無いのに効率が良い人は、そういうことを知っているはずだ。


まとめると、頭を使って努力をしましょう、という当たり前の結論に達してしまった。