続きです。

前回は斤量1キロ=0.2秒の通説と、調べたことを並べてみましたが、「1キロ=何秒?」の答えは全く分かりませんでした。
今回はある3サイトが導いた意外な結論から話を始めてみようと思います。

その意外な結論とは、「斤量を背負わされるほど走破タイムが早くなる」というものです。
今までの常識とは全く逆ですね。
そして驚くことに、この結論は
「TigerOddsの最終レース日記」「亀田馬志のフリーページ」「HRPTV5C」という3つのサイトで展開されていました。
以下はそれぞれのサイトの引用です。
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「TigerOddsの最終レース日記」

同一馬の斤量差とタイム差についてデータを解析して調べたが、

ほとんどのコースで

斤量が軽いときのほうが遅く、

斤量が重い時の方が速い

という意外な結果が出た。


亀田馬志のフリーページ」
全体的には波がありますが、『斤量が重いほど走破タイムが良くなっていく』関係が見受けられます。つまり、暫定的には『重い斤量の馬程速く走る事が出来る』と言った、一見僕らの常識や物理学の常識と合わないような傾向が伺えるのです。

HRPTV5C」
芝コースの場合、斤量の急激な変動は増えても減っても馬の能力の低下をもたらしますが、ダートの場合、斤量が最も激しく低下(1日あたり300g以上)した場合が最も馬の能力が低く、斤量の増加率が大きくなるほど馬の能力が上がって行きました。
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統計的に調べた3者は同じ結論に帰結したようです。
HRPTV5C」 はダートでのみこの現象が起きると指摘していますね。

さて、ここで強引に論を進めてしまうと違和感が残りますので、この3者が出てきた結果にどのような考察をしているか、更に引用してみましょう。
なぜ、斤量を背負わされるほど早く走ることになるのでしょうか?以下は3者の解答です。
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「TigerOddsの最終レース日記」

中には斤量が重ければタイムも遅くなるというコースもあったが、

成長やハンデが軽い時は見習い騎手が乗るという

要因もあるので、なかなか斤量が重ければタイムも遅くなるという統計結果は

でてこない。

同じ騎手でハンデが変わるデータだけを取るべき(データが少ない)か

実際のレースのデータではなかなか斤量とタイム差の関係を出せないのではないかと思う。

今のところ、ほとんどのレースで目一杯馬は走っていないということだけがわかった。


亀田馬志のフリーページ」
まず考えられるのは、JRAのハンディキャッパーの仕事が的を得ている、と言う事です。つまり、『強い馬程重い斤量を負わされる』。すなわち、『斤量は走破タイムを遅くする』のではなくって、むしろ『強い馬である事のサイン』と捉えた方がいい、って事でしょう。これは一見僕らの常識とは反しますが、考えてみると年齢が上がっていって馬体が出来ていって、競走経験も増えて勝ち星を積み上げれば自然と負担重量は増えていくシステムなので、当然と言えば当然なんです。従って、『負担重量が増える=強い馬として考える』のは合理的です。どの馬も同じ力量ですと確かに負担重量が増える事はキツいんですが、生憎全ての馬は同じ力量ではありません。ハンディキャップにはハンディキャップをかけるだけの『必然性』がJRAの競走にはあるんですね。従って、僕らはその情報に忠実に従った方がいい、と言う事です。

HRPTV5C」
標準体重(450Kg~500Kg)の馬の一日の生理的体重変動は±10Kgに及ぶと言われています。従って最大でも上下±5Kgほどのハンデ差は生理的変動に飲み込まれてしまい能力の均一化には効果が無いと考えても良いかも知れません。体重の変動とハンデは別物と考える向きも有りますが、別物と断定できる科学的根拠も見当たりませんので、脂肪・筋肉もハンデも同列に扱った方が根拠が見つかるまでは合理的と考えます。ここまで考えてくるとハンデの”物理学的”量の意味は非常に薄れてきます。一方、強さあるいは能力差を表現する”記号”としのハンデの意味は消えません。従って、"ハンデ"が重くなるほどタイムが良くなると言う事実のみが残るような気がします。即ち斤量補正は巷間の常識とは逆の補正が必要になるかもしれません。
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長々と引用しても難しいので私なりにまとめると、 まず亀田馬志のフリーページ」HRPTV5C」の2者は共通項として「ハンデを背負わされる馬ほど強い」という前提条件があります。これは競馬ファンの常識とも合致しますね。
そこから、「亀田馬志のフリーページ」は背負わされる斤量に見合う以上の力量を馬が有しているために、ハンデ分のマイナスを能力で相殺し、それでもまだ能力のお釣りがあってタイムが早くなるというように説明しています。
HRPTV5C」は理由として、馬の生理的体重変動の大きさの割にハンデ差の変動が小さく、ハンデが体重変動に飲み込まれてハンデの意味を失っていると指摘しています。
TigerOddsの最終レース日記」はハンデが軽い馬の外的要因に目を向けています。背景の同一性を保った上でデータを取る手法でなければ、斤量とタイム差の関係が見えてこないとも仮定しています。
「目一杯馬が走っていない」という指摘は、統計では斤量を背負わされた時ほどタイムが早くなるということは、ハンデに苦しむところまで競走馬は体力を消耗していないという考えによるものでしょうね。

私としてはどの説も正しいと思いますが、どうにも腑に落ちません。
確かに競走馬の体重変動は非常に大きなものです。
排便・発汗だけでも数キロは簡単に減ってしまいますし、その数キロと背負わされる斤量としての数キロにどれだけの違いが有るかは私には分かりません。あんまり無いような気もします。

しかし、ハンデキャップの歴史は前述のように非常に長く、大抵のスピード指数には「斤量補正」の概念が組み込まれていますし、ワールドサラブレッドランキングによるレーティングも斤量が考慮がされています。
これらの全てが間違っているとは思えません。
本当は根拠の無い「1キロ=0.2秒」という概念が世界的に広まり、その上実際にハンデキャッパーという職業まで存在する訳です。
「ハンデ」の概念が間違っているとしたら、競馬に関わる人々の感覚に違和感が生まれてもおかしくないはずです。
それが現在まで指摘されてこなかったのは競馬に関わる人々の感覚が鈍いのでは無く、その概念がある程度の整合性を保っていたからこそではないでしょうか。

だとするならば、先ほど引用した3者に反論する何かが必要です。
そこで私は3者の問題点に少しばかり気付くことが出来ました。
3者は、日本競馬のレース形態を考慮していないのです。

例えば、レースに出る全ての馬が54キロという軽斤量を背負うレースがありますね。
そう、新馬戦です。
新馬戦のタイムは非常に遅いものになりやすいです。
具体例として、今週きさらぎ賞に出走するルージュバックの新馬戦の勝ちタイムは新潟芝1800mで1分55.5秒という遅さです。最下位ユウシンガーのタイムは1分58.3秒でした。
レース経験の無い馬たちを騎手は折り合い重視で騎乗し、少頭数のためにハイペース要因もほぼ生まれない新馬戦は、統計上のデータでは「軽い斤量を背負って遅い走破タイム」を記録します。

逆に、レースに出る全ての馬が58キロという重斤量を背負うレースがありますね。
そう、天皇賞です。
G1のレースとなれば、当然タイムも早いものになりやすいです。
具体例として、少し前になりますが2011年天皇賞(秋)のトーセンジョーダンの勝ちタイムは東京芝2000mを1分56.1秒という早さです。最下位ビッグウィークのタイムでさえ、2分を切って1分59.8秒です。

もうお分かりですね。
つまり、格の高いレースほど重い斤量を背負った馬は多く、早いタイムが記録されやすいという、当たり前の事象だったのです。
それが、統計上だと「重い斤量=早いタイム」として結び付けられてしまった、という訳です。

※ちなみに、中央競馬における馬齢重量表によると期間(2歳から3歳の間)が進むほど斤量を背負わされるようです。
競走馬として成長するに従い、斤量を背負わされる仕組みになっています。

そういう意味では、「TigerOddsの最終レース日記」の「ほとんどのレースで目一杯馬は走っていない」という指摘は的を得ていると言えそうです。
なぜなら、G1では最下位の馬でもそれなりの走破タイムを記録出来る理由の一つに、「相手なりに走っている」というものがあります。
相手のレベルに合わせて、能力が最大限に引き出されるケースが多々あるのではないかと思います。
競走馬が必然的に好タイムの土俵に乗るのが格の高いレースだと言えます。

ですから、
亀田馬志のフリーページ」の「ハンディキャップをかけるだけの『必然性』がJRAの競走にはある」という指摘も正解ですね。
ただ、論として惜しいのは、「ハンデ戦」だけでなく全馬重斤量を背負わされる「定量戦」にも斤量を背負わせるだけの理由が有るという点まで指摘していないことです。
日本のG1レースのほとんどが、全馬が同じ斤量(それなりに重い)を背負う「定量戦」であり、多頭数でメンバーに見合ったペースになりやすく好タイムが記録されやすいのです。

統計的に斤量とタイムの関係を分析するならば、早いタイムの記録されやすいレース・されにくいレースの性質にそれぞれ注目し、背景の同一性がどのくらい確保出来ているかを細かく見ていく必要がありそうですね。


続く。


参考サイト
TigerOddsの最終レース日記
亀田馬志のフリーページ
HRPTV5C